「29日の紀伊国屋での講演、楽しみです。」
2010年7月23日 | コメント(1) | トラックバック(0)
twitter で存じ上げない方からメッセージをもらいました。
29日の紀伊国屋での講演、楽しみです。
はい!? そんな仕事受けたっけ俺? 紀伊国屋の講演... 暫くして浮かんだのは、経営コンサルタント・神田昌典さんが講演すると聞いていたので、ああ、"神田違い" のネタ?
紀伊国屋のページを見ると、ほれ、神田昌典さんの講演がある。けど、27日だ。29日じゃない。
そこで、ページをもうちょっと下へ行くと... 第158回新宿セミナー@Kinokuniya 南 直哉 講演会 演題:「恐山夜話」。
はは(笑) ちゃんと伝言、伝えておきます。
それはそれとして、私、たしかに週に2〜3日しか働かない暇人ですが、南直哉師のカバン持ちをしているわけでもなく、南直哉師がどこで何をしているか、全然把握していません。
せっかくなのでこの機会に申し上げますが、稀に勘違いされていることがあります。
例えば、南直哉師のメディアでの活動に私が関わっているとか。たったの一度も関わったことはありません(ある出版社の方が、南直哉師を紹介して欲しいというので、紹介したことは1度だけある)。南直哉師でビジネスをしたことはないし、今後も基本的にしないでしょう。そういう対象じゃないんです。
それから、当然ながら、私が語っていることは南直哉師の見解を代弁しているわけでは全然ありません。とくに仏教以外のこと、経済や社会問題などについては、南直哉師とは真逆といってもいいものさえあります。今日現在、私は経済人の立場であり、宗教者ではありません。
もう一つ。南直哉師の仏教がアアデコウデそれはウンヌンカンヌンという類の議論も一切お断りしています。プロとして(お金をもらって)著述するのであればともかく、一個人としては、南直哉師が他の人にどう思われているか、どういう影響を与えているのかということに興味がありません。
2003年の8月1日、偶然1対1で坐禅指導をしてもらったその日からずっと私の善き師であり、仏祖正伝の血脈を授かった大切な師でありますが、私の言動の向こうに南直哉師は見いだすことはお勧めいたしませんので、悪しからずご了承ください。
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風見鶏 | 2010年7月25日 09:52
南直哉師の著書は、私も結構読んでいるが、一貫して仏教を現代に適用させる方法論を追及している姿勢が、私と同じスタンスなので注目している僧侶の一人だ。ただ、あまり経典を勉強されていないだろうと思われるフシがある。(著書に根拠となる経典の言葉があまりない。唯一正法眼蔵関係の著書は例外)できれば、華嚴經や維摩経、法華経など禅仏教に関わる経典の解説書も書いて欲しい。
また、鈴木大拙博士の著書もあまり読んでおられないどころか、あまり好意的ではないことが非常に残念。日本仏教の近代史を語る上では、大拙は筆頭の人物であり、私も彼の思想を道しるべにサラリーマンをしながら仏教思想の研究をしてきた。南直哉師は、大拙の「霊性的」言葉に批判的なようだが、仏教はあくまで宗教である以上、「霊性的」言葉は避けられない。仏教を思想として論理的に論じることは可能であるが、それでは深みが出てこないし、心に響いてこない。
大事なのは、仏教によって精神的自由を獲得することであり、それによって一人の人間の人生が大きく左右されることになる。南直哉師の著書は、多少論理的説明に偏っているきらいがあり、現代人に訴える手段としては非常に有効であることは認めるが、もう一歩踏み込んで魂を揺さぶるような言葉があると申し分ないと思っている。