« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »
脳ドック
ここ1週間くらいですかね、左瞼(まぶた)がちょくちょく痙攣(けいれん)しています。
昨今は精神的には安定・充実していますので、─何を君はそんなバタバタしているんだ─ 我が左瞼のキモチが分からないでいます。
だからというわけではありませんが、3月の頭に久しぶりに「脳ドック」を受けることにしました。脳以外は会社の人間ドックによって大丈夫なことが分かっていますので。2005年6月、前回受診したときに、脳ドックは3年に1回受けるといいと言われたので、ちょうど今年の春過ぎにでも受診しようと思っていましたので。
カシューナッツ
私の昼食。一人でとるときは、会社に弁当を売り来ている業者がいくつかあって、それを食べます。
昔から知っている人はご承知の通り、私は「食」に関心がないのです。特別な人と特別な場所に行くのは好きですが、それはあくまでコイゴコロであって、「食」は目的じゃない。
食は、決まったスケジュールで決まったものを食べる方が楽。一粒で栄養も満腹感も満たされるというカプセルでもあれば、それでいいと私は思います。
なので、通常、何の迷いもなく、業者「T」の「Bランチ」を食べます。但し、業者「O」が、「鶏のカシューナッツ炒め弁当」を出しているときは、必ずこれをチョイスします。
カシューナッツ炒め… いい大人になるまであまり食べたことがなかったと思うのですが、この掴みどころのない「ウマさ」はどうしたもんでしょう。もっと、ずっと、続いて欲しい「あのカンジ」。
今日もカシューナッツ炒めを食べました。
「日本はやっぱり社会主義」
購読している数少ないブログで、信頼する数少ない経済学者でもある木村剛氏が、昨今の日本(経済)に対するに私の不安を完全に言い切ってくれています。
日本では、未だに「会社は誰のモノか?」という不毛な議論が論争を呼んだりしていますが、幼稚なこのレベルの議論からそろそろ脱却すべきときです。この問題は(中略)とっくの昔に論理的には決着がついている話でありまして、この程度の極めて低いレベルの議論を蒸し返し、感情的なレトリックを駆使して、「会社はみんなのモノだ」という社会主義的で幻想的な答えに導こうとする「識者」と名乗る人々の知性の低さには、毎回唖然とさせられます。
いつも以上に、ずい分と、語気を荒げていますね。
市場原理型資本主義者の私からしたら、昨年後半からの日本は、失政だらけです。政治家は、選挙で票を入れてもらいたいものだから、消費者にやさしそうなことを言うばかり。とんでもない改悪をし続けています(貸金業法、建築基準法などなど)。
格差問題? その、そんな話は今に始まったことじゃなくて、産業革命の時から資本家と労働階級という二つの経済的な人種が誕生したのですわ。お金がお金を産むゲームをする人と、生活のために雇われる人の二つに。そんな、雇用が正規か非正規かみたいなレベルの話をしてても、意味がないんですよ。
毎朝、家を出るまでテレビを見ていて思うのです。どのチャンネルも、エロカワイイ歌手が羊水をどうこうと言ったとか、王さんの娘のフィアンセが蕎麦を音を立てて食べたとか、そういうくだらない話を、ウィークデーから、どのチャンネルもやっているんです。もう、終わってるでしょう。
未だに、「モノヅクリ」 で復活しようなんて言ってたりしますからね。その、戦後の日本の成長は、100点のモノを作ったからじゃなくて、80点のモノを安く作ったからなんです、私の理解では。今はそれを別のアジア諸国が担っている。いったいぜんたい、世界のどこに、made in Japan のモノをブランドとして欲している人がいるのですか?
きっと Sumo、Samurai、Kyoto がウリの古き良き極東の島になるだろうと思います。国の失策で失いたくない資産がある人は、遅かれ早かれ国外に分散させたほうがいいですよ~~~。
2万円のシャーペン
えー、ステーショナリーに少々凝っている最近、またガラクタを買ってしまいました。
ドイツの文具メーカー「ペリカン」のシャーペン、「スーベレーンD300」。
といっても、衝動買いではありません。ペリカンのシャーペンが欲しいなと思っていて、先日銀座の伊東屋に行ったのですが、定価販売だったものですから、安いところを探して買ったのです。
万年筆はちゃんとしたところで買いたいものですが、ボールペンやシャーペンはどこで買っても一緒ですからね。私の日常で一番使うペンがシャーペンなものですから、まずはシャーペンから。
定価21,000円のところ14,700円。文具というと同じくドイツの「モンブラン」が有名ですが、アパレルなどにも進出して完全に高級ブランドを志向しているモンブランに対して、未だに1,500円の子ども用の万年筆なんかも作り続けていて、文具メーカーを貫いているペリカンに好感を持っています。
しゃて、また明日から働きますか。今週もいろいろと楽しみな予定や会合が目白押しです。
今さらながら、倖田來未
彼女の発言は歓迎されるものではない。
傷ついた人は、それはとても可哀想なこと。
ファンは、今後もファンであり続けるかを考えたらいい。
CMに起用しているスポンサーだとかも、今後どうするか考えたらいい。
以上。で、私の論点は、この当事者以外はどうでもいいだろ、ということです。
倖田來未が羊水についてどう理解していようが、我が人生に寸分の影響も与えません。
たとえ多くの女性が傷ついているんだとしても、私には関係のない事柄です。倖田來未によって傷つけられた女性を救うことは私のミッションではないですから。
産地偽装、鉄筋強度不足、亀田、朝青龍… こういうことを当事者でもないのに本気で「気にして」生きている人々は、要するに、主体性がないのです。自分が何をしたいのかが定まっていないから、方々で勃発することに受身的に反応して、それで生きている心地になっている。
評論家稼業でもするならまだしも、そうじゃないなら、もっと「アナタのジカン」を生きて欲しいなと、老婆心ながら思うのですけどね(笑)
先週の芸能ニュースなら、倖田來未よりもよほど一色紗英の件のほうがオモシロかった。3年で交通違反10件、「かかってきた電話に出ただけなので自分は悪くない」と反則切符への署名を拒み、結局、署名しなかった。
なんとまあエキセントリックなこと! 芸能人なんて、これくらいハチャメチャでいいと思いますけどねえ。ハチャメチャだから芸能界に入ってきたわけだし。
最近がんばっていること
スーパーチューズデー、いかがお過ごしですか?
今週は昼間も夜もいろいろと予定があって忙しなくしています。最近といってもここ数か月の私の「動き」は、またいずれ述べようと思いますが、方向性でいうと、
なんとしても「働かなくてよい未来」を迎えるために、全身全霊、死力の限りを尽くしている
というところです。動かなくてよくなるために精一杯動いている、というなんだかよくわからないことになっています。サブプライムを逆張りでいってみたり、オイルマネーをあっちからこっちへ動かしたり、いやー大変です(笑)
「私が価値を置く7つのこと」の中で、ゴマカシもきかず現実的に困難なのは、3番目の「「お金のための労働」から解放される。働く→稼ぐ→消費する→働く… のサイクルから抜け出す。」です。ここをまず攻略しないといけませんから。
ダメなヤツだと思われても結構なのですが、ほんとに働くのが嫌なんですよ、私は。大人になったら、もっともっと、ダッラ~~~と生きていくはずだったのです。暖かいところで、自然に目が覚め、自然に眠り、何に追われることもなく、猫みたいに。
私のことですから、心配しなくてもいつかそうなれると思っていたのですが、このままだとどうもなれそうにないことに遅まきながら気づいたので、がんばっている次第です。もちろん、Legalに。

再現性
会社の後輩と、株だとかビジネスだとかの本の話をしていました。
私は、本屋に並んでいる「すぐに儲かる」「こんなに儲かる」という類の本はゴミだということを言いたく、感覚的に「ウソに決まってる」と言ったのです。けど、「ウソに決まっている」という表現にはすぐに納得しない様子の彼。
そこで、私の口をついて出てきたのが「再現性が無い」。これは、我ながら、完璧な表現をしたものです。
何度実験してもそう再現されるものを科学というのです。
一方、「私が株で3億円稼いだ方法を教えます」。詐称でなければ、その著者が「株で3億円稼いだ方法」に違いありません。けど、それは、タマタマです。次回使える保証がまるでない。「私が宝くじ3億円を当てた一部始終」ということと一緒です。「過去100年のデータによると」という話でさえ、「過去100年のタマタマ」かもしれません。「ある物質で、末期のガンが治った」。詐称でなければ、きっと治った人がいるんでしょう。けど、それもタマタマなんです。
タマタマは悪いと言っているんじゃないです。タマタマはタマタマなりに、ある一つのモノガタリとして読めばいい。科学とタマタマを見極められる知性を磨かないといけません、我々は。
およそこの世で語られているほぼすべてのことは、再現性のない単なるタマタマです。何事も真に受けちゃいけない、人の話を鵜呑みにしちゃいけない。それが私のスタンスです。