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早く下げな
前回のしょうもないブログを早く下げなと思いつつ、いろいろ多忙な日々を送っています。
「一週間後には終わっている可能性70%」と書きましたが、「70%くらい終わって」います。
いろいろ考えていること、やりつつあることなどなどあり、いずれお話したいと思いますが、それはともかく、11/7 の南師の「仏教・私流」、11/10-11 と山極教授のブロック学習会には参加しますので、関係各位はどうぞよろしくお願いします。
「はじめてキスしたとき、すげえ嬉しかった」
「ちょうど一週間前の今ごろだね。TSUNAMIの中、はじめてマリとキスをしたとき、すげえ嬉しかった。」
これ、誰の発言でしょう? えー、今日の私の発言です。
あの、こんな、キモチノワルイ話は書きたくないのですが、まあ、分かったような、都合の良いことだけ書くのはフェアではありませんから、現実を綴ります。
先週の土曜日に、「彼女が出来た」ことになっています。ほぼ毎日会っては、ご承知の通り私は基本的に自分中心ですから、そこらでチュッチュチュッチュしています。
10月13日は、昔、サザンのコンサートによく行った、我が人生のアイラビューランキングツートップのAちゃんの誕生日。その日に、別の子と、部屋で TSUNAMI を聴きながら、そういうことになった次第です。
まぁけど、長続きしないと思います。オ・センチになっているわけじゃありませんが、ちょっと向こうが特殊な世界に生きる人で、ごく普通の恋人ライフを望む私とは合わないでしょう。一週間後には終わっている可能性70%です。
まぁ、そうだとしても、あるいっとき、他の人とは異なる関係を刻み、未来を夢見ることは、それはそれで素敵やんなことです。
皆さんに幸あれ。我に幸あれ。待ち人来たれ。
亀問題
僕のプロデューサーが、亀田問題について書けというので、少々。
や、正直、あんまり無いんです、感想も、意見も。なんでこんなことを「報道」でやってるのかなあ、というくらい。ボクシングを、「スポーツ」と「興行」、どちらに比重を置いて考えるかだと思うんですよね。興行である以上、ショー的な要素があるわけです。「切腹」「ゴキブリ」とか、そういう発言を取り上げて、ニュースキャスターがアアダノコウダノ言っても仕方ありません。
一つ、昔から思うのは、亀田一族は、プロとして、「愛される」ということを考えた方がいいと思います。ストリートファイターじゃないんで。お金もらってボクシングしているわけですから、「強い」だけでは通らない。
そこが、辰吉丈一郎との決定的な違いなんじゃないかと。
「これは俺らの考えやから、そっちがどう受け取ろうが知らんけど」みたいなことになっちゃうと、これはもう、「俺らの喧嘩、勝手に見とき」みたいなものですから。
もうちょっと、パフォーマーとして、成長したらいいのになあと思いますね。
とどのつまり、若過ぎるんでしょう。下積み時代を支えてくれた彼女であったり関係者であったり、そういういろんなものがあって出てくるような人間ラシサ的なものが、まだ彼らには足りないんでしょう。
ま、まだ若いのですから。頑張ってください。
「先がないスポーツを何でできるんだろう」
プロゴルファー・上田桃子(21歳)のブログが「炎上」したそうです。
ま、いんじゃないんですか(笑) 私も中学生のころ、同じことを考えていました。間違いなく儲からないことに、なぜ汗を出したり涙したりできるのか、と。
ただ、先日どこかに書いたように、99.9%の学生にとっての部活動は、「人生は負けることの方が多く、負けてもなお目標を切り替え立ち上がる力を養うため」にあるんだということが、ようやく私(31歳)には分かりました。
勝ち続けてきた末に挫折すると、被害は甚大なものになります。早いうちに、人生はたいがいうまいこといかない、ということを体得するのはいいことだろうと思います。
「出産は暴力である」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071005-00000925-san-soci
自宅のトイレで産んだ新生児を窓から落として殺人未遂で逮捕されたそうです。
正直、最初読んだときの感想は、「そんなに悪いことかねえ」でした。や、悪いことですよ(笑) 悪くないと言っているんじゃなくて、自分の身体から今まさに誕生した「モノ」を、窓から捨てました。それが、犯罪者として名前を全国に公表され、殺人未遂犯と言われてしまうほどのことなんかなあというニュアンスです。
で、この私の違和感の淵源は、人としての権利、人権は、いつ発生するか、ということです。むか~し勉強して、確か一定の法解釈ができていたと思いますが忘れました。
産まれた瞬間に窓から捨てたら殺人未遂ということは、今まさに産まれたこの「モノ」は既に「人」なんですね。ところが、ある周期までの堕胎は犯罪ではない。
とすると、受胎した瞬間はまだ人ではなく人権もないものが、どこかのポイントで法律上の人となり人権が発生するのでしょう。
人権に、親より子が偉いなどという観念はありません。どんなに産まれた瞬間でさえ、親が子の人権を侵害する権利はないからこそ、窓から捨てれば殺人罪ということになります。
ここで、問題なのは、子宮の中で人権を有して人として存在している子の人権は、例えば思想・信条の自由は守られているのか、ということです。果たしてその子は、その環境に産まれてくることを望んでいるのか、と。
物理的にコミュニケーションする術がないからそんなことは無視してよい、というのは暴論でしょう。だって、人権があるのですから。
そう考えていくと、かの有名な、「出産は暴力である」という名言へと近づかざるを得ないのです。すべてとは言いませんが、一部の出産行為に人権侵害があることは、否定できないでしょう。せめて、きっと私たち夫婦の間に産まれてくることは、子どもも望むものであろうという、客観的な確信を持ってから子どもは作るべきでしょう。なにはともあれオメデタイ、産まれることはイイコトダ、というチープな楽観主義は人権侵害です。
「そんなの関係ねえ」
今さらですが、ただいまヒッパリダコな「そんなの関係ねえ」の小島よしお。
そう、「関係ない」は、私にとっても重要なソリューションです。試しに「関係ないんです」あたりで私のブログを検索してみると、けっこう使っている。
予てから言っていることですが、少なくとも私程度の分際が日々行っていることのほとんどは、どうでもいい、本来的に、そんなの関係ねえことなんです。「そんなの関係ねえ」=「くだらねえ、無意味な」ということではありません。社会的役回り上、それなりに慎重に、誠実に、適切に、対処しているつもりです。けど、そんなの関係ねえ、んです。
我が人生にとって、ほとんどのことは、どうでもいい、関係ねえことなんです。逆説的に言えば、関係ねえからこそ、適切な判断が出来るというもんなんじゃないかとさえ思います。仕事に私心を入れちゃいけません。法人という人格を持った彼(会社)の目的達成のために、我が知性を最大限に捧げ、代わりに生きる糧とする。それだけの話。「ハートで仕事するやつは信用ならん」、敬愛する先輩がよく言っていたものです。
ま、そんなことはさておき、「そんなの関係ねえ」の後に続くフレーズ、「はい、オッパピー」。「オッパピー」は何の略かご存知ですか? 曰く、「オーシャン・パシフィック・ピース」だそう(笑)
悩んだときは、「おれ~、いぇ~い、○○に~、いぇ~い、悩んでる~、いぇ~い、、、けど、そんなの関係ねえ、そんなの関係ねえ、そんなの関係ねえ、はい、オッパピー、けど、そんなの関係ねえ、そんなの関係ねえ、そんなの関係ねえ、はい、オッパピー」って、10分くらい全力でやってみるといいんじゃないかと思います。オッパピーになるでしょう、きっと。
それでもやっぱり捨てられない問題は、まじめに立ち向かった方がいいでしょう。そんな問題は、せいぜい1つか2つしかありません、私には。