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ザ・リッツ・カールトン東京
今日(金曜日)が終わって、9連休突入です。
ゴールデンウィーク直前スペシャルとして、今日は、ランチをハイクラスな女性とザ・リッツ・カールトン東京で食べました。
和食のほうで「3,800円~」と書いてあったのでそれを食べるつもりでいましたが、行ってみるとそれは売り切れだそうで、5,000円のものを食すことに。ひのきの木の香る中、大都会を一望し、おいしい和食を食しました。その後、ラウンジで食後のコーヒーを飲みましたが、コーヒー一杯いくらすると思います? 1,800円!
二人で昼ご飯食べてコーヒー飲んで15,000円也。いいんです、いいんです、no problem。昔から、心地よいひと時には、可処分所得に占める割合的にはお金を惜しまないほうです。
無理に「贅沢」をしようとは思いませんが、素敵な人と素敵な空間で素敵な時間を過ごすことが、「生きてて良かったな」のページを綴っていくんです、私の場合は。
夜は、会社で一番仲良く遊んだ人の送別会。書き始めると切りがありませんのでやめときます。すべては移り変わるもの。みんな、一人一人、楽しくやっていたら、それでいいこと。
さて、ゴールデウンウィークをエンジョイします。
マジックバーII
今日(月曜夜)、ちょうど一週間ぶりに、またマジックバー「八時」に行ってきました。会社で一番の仲良しが4月末で退職するんで、ミニ&プレ送別会として3人で。
最後、店長が、店内の音楽をチェンジして、花束を出すマジックをしてくれました。
いやー、エンターティナーって、気持ちがいいですね。きっと世間的には十分に自由な職場にいますが、やっぱり2500人で一つのことをしようとすると、いくぶん官僚的になることもあります。そういう世界から解き放たれて、その場の機転で人を喜ばす。ほんと、そういう人たちを見ると、かっこいいなーと思います。
まだ二回ですけど、このマジックバーに行くと、自分のナリワイを磨くということと、人を楽しませるということ、そういう素晴らしいものに触れられて、ちょっとしばらくマイブーム(死語か)になりそうです。
恐山に行ってきますぞ
ゴールデンウィーク、どこも行かないと思うと書きましたが、ついに、恐山に行くことにしました! 私の戒師、南直哉師が院代を務めているところです。
4日-5日泊まっての2泊3日。今日、新幹線やレンタカー(私は助手席)、あとペットシッターも予約しました。「青森・函館フリーきっぷ」というのがあって、往復で29,100円。普通に取るよりは安くあがりました。
今日は、それから、某家電量販店でイーモバイルの契約をしました(端末のではなくて、パソコンに挿して使うカードのほう)。ノートパソコンに無線LANがついていますが、結局、ほとんど入らないんですもの。イーモバイルなら定額(4,980円/月)で使い放題です。現在もいつもいる喫茶店ですが、ちゃんと電波入ります。快適です。
最初の契約料というのが5千円くらいかかるんですが、他社のカードからの移行だと1円になるキャンペーンをやっていました。私は他社のカードなど使ってないので、じゃあダメだよね? と聞いたら、キャンペーンガールのお姉ちゃん曰く、「あ、でも、『使ってます』って言ってもらっちゃえばいいですよ」とのこと。レジに連れて行かれ、「他社の使われてます?」「はい」「どちらのになりますか?」「うーんとねーーー」「エアーエッジですか?」「ああ、それ」、はい1円。いいですぞ、その緩い感じ。
マジックバー
今日(月曜夜)は、著書『できる人の勉強法』が20万部以上のバカ売れ中の高校時代の予備校の、いや我が人格形成期の恩師・安河内哲也大先生と久しぶりにお会いしました。
ササッと料理を食べ、先生に連れて行かれたのは四ツ谷にある「八時」というマジックバー。もちろん生まれて初めて行きましたが、ややや、みなはん、プロの技はすごいですよ~。
今日、見せてもらったのは、鬼喜王子さん(上から二人目)というプロマジシャン。
クローズアップというテーブルごとに回って、まさに目の前でマジックを見せてくれます。その後、数時間に一度、ステージでのショーがあります。
この写真、クローズアップ・マジックで私が選んだカードが、気づいたら私の時計に縮小されてシールが貼ってあるんです。なんじゃこりゃー、ですよ。
もちろん、ハトが出てきたり消えたり、カードがあちこちから出てきたり、物体が空中に浮いたり… 一応、近代物理学を信仰していますので、「無いもの」は出てこないわけなんで、どこに隠してるのかな~ と思いながら見ますが、まったくわかりません。
あいかわらずエネルギッシュな安河内先生と、タネもネタもありますよと公言した上で人を楽しませるプロ・マジシャンのの技に脱帽でございます。四の五の言わずに、自分のウデを磨くことじゃなあ~ と改めて思いましたね。
くやしいぞ~~ 皐月賞
久しぶりに(今年初かな?)、馬券を買いました。67回皐月賞。1着ヴィクトリー(7番人気)、2着サンツェッペリン(15番人気)、3着フサイチホウオー(2番人気)で、馬連94,630円、3連単は1,623,250円の大荒れ。
いや~ 勝ったヴィクトリーから買っていたのです。ヴィクトリーを推すことに決めていて、前日までは、ヴィクトリーの単勝(結局1,730円)か、ヴィクトリーからの馬連17点総流しを考えていました。
が、当日、色気を出して(点数が少ない分、1点当たりの購入金額を上げられますから)、結局買ったのは、ヴィクトリー(7番人気→1着)、アドマイヤオーラ(1番人気→4着)、メイショウレガーロ(11番人気→5着)の馬連三角買い。
うーん。ヴィクトリーから100円×17点=1,700円の総流しだけで94,630円になったのに~、ゼロ一つ増やせば94万だったのに~。
ギャンブルのタラレバほど無意味なものはありませんが、ヴィクトリーの絶好の買い場だっただけに、手広く行かなかった自分に反省です。
先日の「運をつかむ」に通じるのですが、ここじゃ! というときは、ガッサ~~~と風呂敷広げて全方位で攻めないといけません。
あまりかんドリームを掴め
『あまりかん。』は全部読んでしまいました。
私の好きなまっつん(松本人志)。もともと伊東くんと仲良かったまっつんは、次第に、はまちょん(浜田雅功)とも仲良くなる。あるとき、伊東くんとはまちょんが、まっつんの取り合い的な喧嘩をした後、反対の方向へ道を歩いて帰っていく。呆然と立ち尽くすまっつんに、「まっつん、いこうや」とはまちょん、「う、うん」とはまちょんについていったまっつん。
その後、尼崎工業高校を出て、日刊アルバイトニュース(現在の「an」)の印刷工場に就職が決まっていたまっつん。はまちょんは、全寮制の高校を出て、競艇選手の試験を受けたが落ちた。NSC(吉本総合芸能学院)1期生の募集広告を見たはまちょんがまっつんを誘い、まっつんは内定を辞退して、入学する。
まぁ、ほんとに、いろんなことが折り重なっての、あま(尼)りかんドリームです。
あの日あの時、まっつんが伊東くんについて行ったら、はまちょんが競艇選手の試験に受かっていたら、NSCの開校があと1年遅かったら… 今日のダウンタウンはない。ダウンタウンがないということは、今日のお笑い第三世代も第四世代も第五世代もない。
仏教者としては「縁」で繋がっていると言うべきなのかしりませんけど、事前に、客観的に、証明し得ぬ以上、結局、人生は、広い意味での「運」だろうと思っています、私は。
未来のある君たちへ(20歳以下限定)。運を掴むことです。といっても、運は意識できるもんじゃない。だけど、二つ言えることがある。
一つは、努力すること。
努力は実力を生み、実力は自信を生む。自信は幸運を呼び、幸運は勝利を掴む。
とは、高校時代の師・安河内哲也先生(『できる人の勉強法』が20万部バカ売れ中!)から学んだ言葉。私が、高校の卒業アルバムに記した一言もコレでした。努力は、今すぐに、確実に、誰にでも、できる。
もう一つは、運来てるな!? と思ったときは、気を引き締めつつ、けれど遠慮せずに、行けるとこまで乗っていくこと。
毎日毎日、テレビでしたり顔のオトナたちが、社会だの教育だのワケワカメなこと言ってるけど、あんなことはどうでもいい。どうせ今のジイさんは、みんなが大人になるときには死んでいる。
ジジイの話はどうでもいいから、今から本読んで、勉強して、体験して、人と接して、努力して、人それぞれのあまりかんドリームを掴むことに集中したほうがいい。がんばれよ~~~。
高須光聖 『あまりかん。』
本の発売初日に、本屋を行脚して探し出し、メシ食う時間も勿体ないと早めにかっ込み、喫茶店に籠もってページをめくる… そんな本ってなかなか無いものです。ごめんなさい、前人未発掘の仏典が屋根裏部屋から見つかっても、そこまでは興味ないです。
4/10発売、高須光聖 『あまりかん。』 KKベストセラーズ
高須光聖(たかす・みつよし)さんというのは、放送作家。ダウンタウンの二人(浜田雅功、松本人志)と小学校からの同級生。二人と幼少を過ごし、大学(龍谷大学)卒業後、二人に誘われて放送作家として活躍している人です。
わりと分厚いハードカバーの本ですが、ドドドッと読んでいます。周りをキョロキョロしながら東京ミッドタウンを眺めている人の間を、本を読みながら歩いています。
幼い頃から順を追っての編年体の自叙伝です。自叙伝というのは、その人のことが「好き」じゃないと読んでも意味ないでしょう。隣町の田中さんの自叙伝には興味がない。ご興味ある人は、どうぞ
ちなみに、「あまりかん。」とは、尼崎の「あま」を、アメリカンとカケているのです。あまりかんドリーム。
サラリーマンは悟れるか、降誕会に寄せて
今日はSir.ゴータマ・ブッダ の生誕の日と言われています。お寺ではお祝い事をしていることでしょう。もちろんそんなことに出向くことなく、田町界隈で俗な生活をしている私。南直哉師に出会ったのが2003年の夏のこと。夢中に毎日坐禅に通った日々。それからたかが4年少々ですが、私になりに仏教に純粋に接してきたつもりです。当然、「私観」も変遷しながら。というわけで今日現在の我が仏教私観を、あっちこっち行きながら書いてみます。
「仏教は思想か宗教か」という不毛な問いがあります。「仏教は思想、哲学である」というのは、概してインテリな輩がそう言います。自分が仏教に触れていることを、俗にいう「宗教にはまっている」んだと思われたくないという程度のことだろうと、私は傍観してしまいます。
コメントに頂いたように、たとえば仏教の「空」という考えかたは、なかなか理解し難いものがあります。だからインテリな輩をもトリコにしてきたのでしょう。それは無ではありません。有無の対立を離れた空なのですから。空=無自性・縁起なればこそ万有が現成し得るということが1500年前に論証されています。
いずれにしても、世間一般の常識的な思考パターンを破壊することは確かです。すべては移り変わる、変わらぬものなど何一つない、すべては幻のようなもの… 仏教はそう言います。そこで、突如、虚無感に襲われる人がいる。忘れちゃいけないのは、そのような教説は、現象世界の「見かた」です。そこで止まってはいけない、肝心なのはその先です。つまり、世の中はそうだとして、その中で、どう自分は在ろうとするのか。幻のようなものなりに「ワタシ感覚」があるのは厳然としているのです。認識の土地の上に、どう主体性という建物を構築していくのか。そこに、実践的な、宗教としての仏教があるのだろうと私は思います。
しかし、とはいっても、空でも唯識でも何でもいいのですが、それをそのまま、いわゆる「悟る」ということは、まぁ、無理でしょう。たとえば、『唯識三十頌』にこういう文章があるよう。
一切は唯識であると理解しても、何ものかを眼前に置いている限り、心は唯識に安住していない。
唯識に、あるいは空に、「安住」した人が、まともな社会的生活を送っているわけはない。誰に喧嘩を売るつもりもないですが、「私は悟った」というのは、九割九分、ウソでしょう。
だからね、と口調が変わりますけど、「そうなのかなーーーあ」って理解して思うことと、実際の自分の在りようを、あまり厳密に結び付けない方がいいだろうと思うんですね、私は。素人がプロのモノマネをしたって仕方ない。サラリーマンが週に一回坐禅してね、悟れるわけがないんですよ、言うまでも無く。そう考えるほうが、仏教に対して失礼なこととさえ思う。坐禅はするなということじゃないですよ。気持ちの持ちようの話です。
興味を持ったら勉強してみればいい。体験したかったら、坐禅でも、念仏でも、やってみればいい。僧形になりたかったらすればいい。けどね、セックスしたい、金も欲しいと思っちゃうときは、それはそれ。飽きたときはやめればいい。再開したかったらすればいい。
あっちいったりこっちいったりしながら我が身を振り返って、そうして、仏教を知らなかったときよりはまともな日々を過ごせて、その人なりに良い明日、良い明後日を迎えられれば、それでいいんじゃないですか。
それは、放逸主義ではないんです。自らの限界を知ること。絶望しながら充実する、ことなんです。
仏教的な時間の単位に、「阿僧祇劫」(あそうぎこう)というのがあります。一劫とは、こう喩えられます。四十里四方の岩に、百年に一度天如が降りてきて、衣で岩をなでる。その繰り返しで、岩が磨滅して無くなってしまう時間が一劫である、と。阿僧祇というのは無数ということ。ですので一劫が無数よって一阿僧祇劫です。これがさらに三度、つまり、三阿僧祇劫という時間によって、人は成仏すると説く経典がある。
悟るとか悟らないとかは、それくらいの時間感覚で構えていたらいいんじゃないかなと思いますね。
繰り返しになりますが、昨日よりも素敵な今日、今日よりも素敵な明日を迎えられれば、それでいんじゃないですかね。Sir.ゴータマ・ブッダも喜んでくれると思いますよ。
ゴールデンウィーク
今年も近づいてきましたね。一斉の夏休みは無い会社なので、ゴールデンウィークがもっとも効率的にたくさん休むことができます。2002年カリフォルニア、2003年北海道、2005年九州へと10日くらい出向きました。
どっか行きたい欲が高まります。行きたいところリストを作るなら、グリーンランド、アイスランド、アラスカ、パタゴニア、タイ、ブータン、インド、スリランカ。そんなところかな。仏教関係、もしくは「はしっこ」です。
けど、今年は多分、家にいます。籠もって卒論のための文献を読みまくりたい。なんだったら、どこかのホテルを借りて、テレビを外してもらって籠もりたい。このゴールデンウィークでガガガッと進めないとちょっとまずいんです。
予定通り卒業できれば来年のゴールデンウィークは大学院進学して間もなくということになるので、逃避行は来年に取っておこうと思います。
日本仏教史のホップ、ステップ、ジャンプ
今日は、19時半くらいに早めに会社を出て、写真スタジオを経営する青学時代の友だちと麻布十番でインドカレーを食べてきました。
といっても、トンカツ、定食、インドカレーの選択肢でたまたまインドカレーになっただけ。その友だちは仏教繋がりじゃないです。
が、そこの店員がネパールの人だったのですが、私が「ルンビニー」(ゴータマ・ブッダ出生の地)という地名を口にしてしまったものだから、仏教のことをいろいろ聞かれてしまいました。
その中で、「日本の仏教は日蓮聖人から始まってるのか」と言われ、イヤイヤ、それはちょっと否定しとかないかんなと。ご存じない方は覚えて帰ってください(笑) そんなに難しい話じゃありません。
・ホップ
奈良時代に仏教伝来。奈良にあるお寺の東大寺、法隆寺、興福寺などで栄えた南都六宗です。六つの宗派は、三論、成実、法相、倶舎、律、華厳ですが、宗派といっても今日の宗派とはちょっと違って、学派のようなもの。特徴は学問仏教です。
・ステップ
次の平安時代。最澄、空海が出て、それぞれ天台宗、真言宗が興ります。前者が本覚思想、一乗思想、後者が密教を特徴とします。大乗仏教的な仏教が広がります。
・ジャンプ
鎌倉時代。法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)、日蓮(日蓮宗)あたりが出ます。多くは天台宗の比叡山・延暦寺でお坊さんになった人が独自の教義を構築します。傾向としては、円(法華経)、密(密教)、禅(禅定)、戒(戒律)、いろんなことをやっていた平安仏教に対して、「一つのこと」に絞っていく(一行専修化)。浄土系は念仏、禅宗は坐禅、日蓮は唱題。
というわけで、学問の奈良→最澄・空海の平安→一行化の鎌倉のホップ、ステップ、ジャンプです。
おまけで二点。
今日メジャーな宗派が鎌倉時代に興った宗派なだけに、「鎌倉新仏教」と称してそこに重きを置くわけですが、それは仏教を研究する者の多くがお坊さんであったという事情を反映したもので、思想史的なターニングポイントは最澄にあったという見方が昨今されているようです(末木文美士・東京大学教授など)。私もそう思います。
それから、鎌倉仏教を一行専修化と括りますが、実際にはそんなに簡単に済む話ではないかもしれません。日本仏教の宗学は詳しく知りませんが、たとえば道元の標語「只管打坐」は、「(ほかのことは何もしないでいいから)坐禅だけ」と一般に解されますが、私はそうは思いません。道元の「只管」は、坐禅の「質」を言っているんだろうと私は思います。
「模範解答」を買うという愚
通信制の大学というのは、あるテキストを読んで設題に対してレポートを書くという作業がありますので、「模範解答」というものが売買されています。今日も、mixi 内で、「模範解答」についての話題が上がっていた。
私は、社会が便利になることを止めようとするのは不可能だと考える側なので、模範解答が役に立たないシステムを大学側が作るべきだと思います。また、一学生としては、周りにそういう人がいたとしても、別に、ズルイだとか、不公平だとか、そういうことは思いません。そもそも、眼中にないですからね、そんな子たち。
ただ、それとは別の次元の問題として、こういう輩の話を聞くと、ひとこと、「しょーもなっ」という焦燥感が沸いてきます。
何がしたいんだろうな、この人、と。そんなにしてまで大学を卒業したいのか? ハーバード大学の経営学修士でも出るなら百歩譲ってわかってあげても、そこらの大学を卒業しても糞の役にも立ちませんで。資格が取りたい? そんなことして教員免許とっても、まぁ、採用されることはないでしょう。世の中、そんなに不合理にはできていない。
当たり前のことですが、学習は、その過程に意味がある。
一文ずつ本を読み、辞書を引き、分からないところを別の文献で調べ、先生に聞き、レポートの構想を練り、書いてみて、推敲して、そうやってハードルを越えていく過程で、人は成長する。
春。これから学びを志す皆さんは、どうか素敵な学ぶ者になって欲しいと思いますし、私もそうありたい。
人の答えを写すなんていう無駄なことしてるくらいなら、エロビデオでも観ていた方がいい。その方が、楽しく、気持ちよく、長生きできますよ。人の答えを写しての大学卒業なんて、エロビデオ観続けること以下の価値です。道義的、倫理的に言っているんじゃなくて、ひとまず10年くらい社会で働いてきた実感として、無価値なんです、ほんとうに。
Welcome to 2007、唯識思想Wiki
4月ですね。2007年度の始まりです。
今日は、某国産靴メーカーのショップに、革靴を買いに行きました。というのも、月曜日に、管理職のハシクレ就任挨拶と、所属する事業室の四半期戦略プレゼンで、200人くらいの前に立たんといけないのですが、「ドンキ」で買った今履いている靴がもう死にそう、否、既に死んでいるのです。「格好」には昔から無頓着で、今後も、お洒落さんにはなることはないし、なりたくもありませんが、最近は一応、「コキタナイなーこの人」と思われない程度にはしようと努めるようにしています。
さてさて、この4月から、佛教大学の学部から大学院文学研究科仏教学専攻に進学された一年先輩の石橋さんが、唯識思想Wikiの構築に着手されたとのこと。
私も昨今、この時代に仏教を学んだものとして、オンラインでの仏教のリファレンスを、自身の学習・研究の過程とともに残していこうと考えています。