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ご利用は計画的に(インターネット)

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http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2783568/detail?rd

 mixi が早くも「踊り場」に来ているそうです。大変ですね~、ネットビジネスって。従来のビジネスであれば、営業して販路を拡大し、それに合わせて人や営業拠点を増やしたりということになるんでしょうが、物理的な制約が少ないネットビジネスは、とんでもない勢いであっという間に「全国制覇」してしまいますからね。

 それはともかく、上のニュースにある「俗に言う「三洋電機事件」」って何だ?? と。私は、比較的ネットをオモテ的な使い方しかしないので、よう知りませんで。

 要するにこういうことだそうです。三洋電機の社員が、ファイル共有ソフトによって自身のPCのファイルを流出してしまった。その中には三洋電機の機密資料も含まれていたが、一方で、彼女とのニャンニャン写真(死語)も含まれていた。その彼女は、mixiに実名で登録していたため、探し出されて素性がばれ、ネットのあちこちにムフフ写真(死語2)付きで曝されているんだそう。

 私は、匿名でモノを語るということが嫌いですので、それなりに素性を明らかにしています。ですので、あらゆるご批判は受けとめますし、私が言いあるいは行ったことに問題があり、社会的制裁を受けるのであれば別に構わないと思っています。誰に嫌われようが、クビになろうが、刑務所入ろうが。「それもまた、人生よ」、という程度のことです。

 別にカッコつけてるわけじゃなくて、そういうもんだろうと思っているだけです、人が行動し、モノを言うということは。常になにがしかの「波風」を立てながら生きていくもんだろうと。

 そんな私のようなテキトー人はいいですけども、永く日本国で一定の社会的生活を送っていきたいと思っている方は、ご自分はもとより、カレシなんぞも含めて、インターネットのご利用は計画的に。

「21世紀に生きるイジメられッ子へ」 (完結編)

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 イジメばなしや自殺ばなし。キリがないので、これを私の最後のメッセージにします。

「21世紀に生きるイジメられッ子へ」

 いじめは、昔から、世界中である。私は平和な環境に育ったけど、そうですね、小学校かな、ウンコしたら「ジ・エンド」だった。学校でウンコするくらいなら、途中で漏らしてもいいから持ち帰ったもの。あとは、毛の類(ヒゲとかチンゲとか)も、早く生えてもまずいし、遅過ぎてもまずい。「ウンコ」とか「ヒゲ」というソノママのアダナの子らがいたものです。

 結局、高校までは集団教育なので、「みんなと同じ」ことが求められます。変なヤツはいじめられる可能性が高い。いじめらるということは、なにか変だったのでしょう。

 けれど、社会に出れば、変なヤツにも居場所があります。なんだったら、変であるこを「ウリ」にさえできる。

 だから、なんかの拍子でいじめられちゃったら、「死んだ」と思って我慢しよう。残りの数年。

 別に、学校なんか行かなくたっていい。そのときは、親にこう話そう。「お母さんゴメン。いじめられてしまった。だから学校には行きたくない。けど、ちゃんと高校受験(あるいは大検)をして、高校(あるいは大学)からやり直すから安心して。大丈夫だから。」と。

 それで、浮いた時間、とにかく本を読みまくること。「学んで成長する」ことは、すべての人間に平等に開かれた素晴らしいことです。図書館に行けば、タダで、読み切れない本の山がある。時空を越えた人間の知恵がそこにはある。おかしくなるくらいに本を読もう。

 それだけ本を読めば、きっと、自分が進みたい道、やりたいことが見つかるはずです。そこまできたら、もう、過ぎ去ったことはどうでもよくなるはず。

 私が君たちの歳に戻れるならば、とにかく本を読みたい。友だちと遊んでいた時間の1/3は、本を読んでいてもよかった。オナニーに耽っていた時間の1/2は、本を読んでいればよかった。筋肉マン消しゴムを集めていた時間のすべては、本を読むべきだった。

 エジソン、ニュートン、アインシュタイン、アリストテレス、ソクラテス、ブッダ、キリスト、孔子、ピカソ、ゴッホ、モーツァルト、バッハ、数々のアメリカンドリーマー、数々の偉大な政治家… もっともっとたくさんのことを知ってオトナになりたかった。

 君たちにはまだ時間がたくさんある。無限に変化する粘土のような脳を持っている。焦らないことです。そして、「知ることを愛す」─哲学する─ようになって欲しい。これが、数十年ばかり早く生きたオッサンからのメッセージです。

来年のことを考える

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 今日は、A型的お掃除をしました。台所、トイレ、風呂、床、念入りに。そして「きき湯」に浸かりました(これ、いいネーミング)。気持ちがよい。ジャパンカップはフサイチパンドラの単勝勝負で撃沈しましたが。

 佛大の1年先輩のIさんが、大学院の試験を受けられている。ということは、私も1年後には受験なんだな~ と。年末ジャンボでも当たらない限り、佛教大学の通信教育課程の大学院に行くつもりでいます。文学研究科仏教学専攻。

 ちょっと気が早いですが、来年(度)、またいくつかチャレンジしてみようと思うことがあります。

 「律蔵」を中心に、文献学的にインド仏教の歴史、教団史を扱うというスタイルが定まりましたので、仏教そのものというよりは、文献を読むためのツールを鍛えたい。

 まずはパーリ語。基礎は東方学院の集中講義でやりましたが、サンスクリットがそうであるように、やはりコンスタントにやっていくことが大切です。もちろん、独学でコンスタントにやれればいいのですが、残念ながら私はそんなに利口にできていない。東方学院で通年講座は開かれないでしょうし、大学の科目等履修生に期待です。大正大学、東洋大学くらいですかね。通える時間になかったら、指導教授に「文通」を打診してみます(教授、ご覧になってたら、よろしくお願いします(笑))。

 それから、ドイツ語。指導教授によると、私が卒業論文で扱おうとしていることの、もっとも優れた研究書はドイツ語で書かれているそうです。卒論段階でそれをどう扱うかは未定ですが、いずれにしても、仏教学の最先端は欧米です。特に、歴史面ではドイツが優れているようになんとなく思う。そんなわけで、年間を通じてドイツ語にチャレンジしてみたい。

 あとは、年間を通じてというほどじゃないけど、中国仏教をしっかり押さえたいですね。大学のカリキュラムの構成上、私は中国仏教がすっぽり抜けています。ま、いいか、と思っていたのですが、律蔵を扱う際に、日本人のアドバンテージとして、漢訳律を(欧米人に比べると)容易に扱えるということがあります。一部派の伝承であるパーリ律だけでものを語るのは、「読めばわかるじゃん」ということですから、漢訳律を同等に扱っていきたい。としたときに、それを翻訳し、受容していった中国仏教を押さえておかないといけないなと思うわけです。

 気が早いようですが、もうすぐ12月。皆様も2007年の展望を。写真は久々登場のスジャータ嬢。もうすぐ1才(12月26日生)、すっかり大きくなりました。

「いじめられて自殺するような弱いヤツが一番アカン」

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 土曜深夜2:00-、週に一度のお楽しみ、松本人志・高須光聖の「放送室」(Tokyo FM)を聴きながら、ドキドキしてしまいました。

 松っちゃんは、以前から「(みんないろんなこと言ってるけど)自殺するヤツが一番アカンねんということを誰かが言わなアカン」と言っていたけど、今週は輪にかけて「イジメされたくらいで自殺するような弱いやつはアカンし、そういう子にした親もアカン」とボロッカスに言っておられた(笑)

 私でさえ、書くのを憚るようなことを、ラジオとはいえ公共の放送で言っているんで、、だいじょぶかいな… と。

 けどね、私もそうなんですよ、本心は。

 そりゃね、世の中いろんなことあります。頭悪かったり、不細工だったり、何の取り柄もなかったり。そんなことは、大昔からそう。

 3人集まれば文殊の知恵なんてのはウソで、3人集まれば上・中・下ができる。5人集まれば、上・中の上・中・中の下・下ができる。それだけのことです。

 だから、いろんなことがあるんだけど、それを俯瞰する立場に立って、それでも生きていく楽しみとか、意義のようなものを、たとえそれが気休めであったとしても、人は自分で発見するしかない。

 何も無いんです、私なんか死んだ方がいいんです、っていう人は、「残念だけど、じゃ、しょうがないね」と言われても仕方ない。

 たいていの人がそれを見つけてなんとかやっている以上、多数決の論理で考えると、見つからない人は努力を怠っているということになる。それが私の言う「マクロの冷たさ」です。人類誕生から何億人、人が誕生したのか知りませんけど、マクロにいえば、そんな人が少々いる程度のことは、想定の範囲内だし、たいした問題じゃない。

 政治家なんて、まじめに考えてないと思いますよ、自殺問題なんて。そりゃそうです。外交問題だとか、経済政策の方が重要に決まってる。

 だから、社会とか国とか、どうでもいいこと言ってないで、もっとパーソナルに考えないといけない。

 死にたいというなら最後は自分で決めたらいいと思うけど、まだまだ、君が知らない楽しいこと、気持ちいいこと、エキサイティングなこと、エクスタシーなことがあるんです。その好奇心だとか、自分に対する期待だとかを失っているのであれば、自殺しようがしまいが、実質的に「生きている」ことになってないから、どっちでも一緒なんです、もはや。

 強くなるべし。何故なら人間は弱いから。がんばれ、がんばれ、です。

人間ドックの結果

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 11月7日に受けた人間ドックの結果がきました。幸い、余命僅かではないようでよかったですが、指摘点がいくつか。

・胆のうポリープ(腹部超音波)
 …「3mm」で、「軽度異常を認めます。体調や自覚症状に注意し、1年に1回は検診を受けて経過を見るようにしてください。」

・尿酸(代謝系)
 …「7.1mg/dl」(正常値は3.7-7.0)で、「軽度異常を認めます。この機会に生活習慣の改善が必要です。」

・アルブミン(肝・胆・脾)
 …「5.1g/dl」(正常値は4.0-5.0)で、「わずかに異常を認めますが、日常生活に差し支えありません。」

 以上、3点。前回、再検査になって超音波で脂肪肝と診断された肝臓は大丈夫だったみたい。

 警告ランク的に一番高いのは尿酸です。リーフレットももらいました。これが高くなると「痛風」になるんですって。痛いのはカンベンです。月並みながら運動することと、あとは果糖、動物性脂肪があまりよくないみたい(私は酒はほぼ飲みません)。

 次いで、「ポリープ」というのが少々センセーショナルではありますが、胆のうのポリープというのは、腹部エコーでよく見つかるものだそう。10mmを超えると悪性、すなわち癌の可能性もあるので切除したほうがいいそうですが、5mm以下程度であれば、自然と消えてしまったりもするんだとか。

 ただ、胆石や初期の胆のう癌と間違われる場合もあるそうなんで、3か月後くらいにでも、最先端の病院で検査を受けてみましょうかね。「ここでダメなら仕方ない!」と思えるような最先端の病院って、どこなんでしょうかね~。

 胆のうに強い病院リストがありました。慶應、東京女子医大、東京医科歯科、順天堂、国立がんセンター、あたりのようですね。しかし、こうしてみて見ると、簡単に最先端の医療が受けられる東京都内に住んでいるというのは、便利なものです。

マラソンを見た

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 昼食を食べようと近所を歩いていたら、ちょうど東京国際女子マラソンご一行が通るところで、見物しました。5分もしないうちに、向こうから土佐礼子と高橋尚子が二人でやってきました。(写真は、4-5位くらいの方)

 友だちとでもいたら絶叫したかもしれませんけど、一人ではちょっと恥ずかしいので無理だった。絶叫するにしても、日本人2人で来ちゃったので「高橋がんばれー」では土佐に悪い気がして、かといって「高橋、土佐、がんばれー」じゃ長いから、結局、「がんばれー」ということになっちゃうなぁ、とか、意味のないことを考えていました。

 不謹慎なつもりはありませんが、高橋尚子、いい女性でした。こんな日曜のさっぶい雨のなか走ってないで、ちょっとお茶してかない? と思ったわけですが、まあ、人にはいろんな志向性がありますわな。この土日にずいぶんと「パーリ律」の原典(といっても英訳です)読みを進めました。布薩犍度を読んでいますが、もうすぐ読破です。

「生きる意味より死なない工夫」

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 「がんばれ、若者よ」のエントリーに対して、「前から真っ当な人だと思っていたが、改めて感銘を受けた」というメッセージをもらいました。真っ当だったようで、良かったです、私。

 南直哉師の新著の中で、いい言葉がありました。「生きる意味より死なない工夫」

 そう、「生きる意味」なんてどうでもいい。「生きる意味を探す」ということを、ナーガールジュナ風に論破すれば(※即興で書いているので真面目に反駁しないでくださいね)、

「生きる意味を探す」
 ↓ということは
「生きる意味は存在する」という前提がある
 ↓ならば
あなたが探そうが探すまいが、「生きる意味は存在する」
 ↓
あなたが見つけようが見つけまいが、「生きる意味は存在する」
 ↓したがって
意味がない

ということになります。

 そんなことより、「死なない工夫」をしましょう。私の死なない工夫、だいたい以下に集約されるんじゃないでしょうかね。

(1)自意識過剰にならないこと。私の悩みなど人類の歴史において既に誰かが悩んでいる。先人に学ぶこと。

(2)「プライベートな問題」に、社会とか、国とか、政府とか、学校とか、親とか、友だちとか、余計な登場人物を導入しない。プライベートなことはプライベートで考え、結論づける。他人は関係ない。

(3)1秒前は過ぎ去ったこと。

 これで、「考える」ことはあっても、「悩む」ことはありません。

 その上で、手近な楽しいことをいくつか置いておきます、私は。何かって? や、卑近なことですよ、そんなの。かわい子ちゃんとの食事の約束とか、そんなもんです。

 「私の悩みはそんなレベルじゃない!」という人は頑張って悩んだらいいと思いますが、まぁ、私はこの程度なんです。その上で、この程度の私に、いろんな人に付き合って頂いている。そのことについては、心から御礼申し上げる次第ですし、結果的に、そんな私の毎日の積み重ねが、何がしかの意味、価値となるのであれば、それはまことに望外の喜びであろうと思います。 早々

がんばれ、若者よ

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 石原都知事じゃないですけど、「(自殺予告などせず)とっとと死んだほうがいい」などと口を滑らす癖が私にもあるので、いま少し私の「想い」を書いておきます。

 私は、自殺するべきではないと思っています。ほとんどの自殺は「時期尚早」。

 学校でいじめられているのであれば、無理して学校に行かなくてもいい。知り合いに、高校中退→大検→司法試験と進んで、二十代で東証一部上場企業の企業内弁護士をやっている子がいる。弁護士がどうこうといっているわけじゃなくて、いろんな「やり方」があるということです。

 「やり方」を見つけるのは、悩んでいても仕方がない。考えないと。何が問題なのか、どうしたいのか、選択肢には何があるのか、リスクは何か、明日はまず何をすべきなのか… 考えること。

 もう一つ。先人の知恵を学ぶことです。長い人類の歴史の中で、ワタシがはじめて持った「悩み」などあり得ない。とうの昔に誰かが考えている。図書館に行けば、山のように先人の知恵があります。それらにあたってみることです。

 人生を大海に喩えることがよくあります。「普通の人と違う」と思うかもしれないけど、もとから普通の人の「道」などない。海なのですから。したがって、道を外れるなどということもない。

 他人はどうでもいい。自分の人生は、たとえそれが気休めであっても、自分でプロデュースし、そのために工夫をし、知恵を絞っていく。

 そう考えると、やることなすことなくなって、いい加減八方塞がり、自殺の機が熟すことなど、たかが80年程度の寿命ではありえない。時期尚早なわけです。

 もっとも、そういう、考えること、先人に学ぶこと、そういったことをする気力さえない人って、確かにいると思います。もう、塞ぎこんでしまって、自分から八方塞がりになってしまう人。そういう人は…、残念だけど仕方がない。
 非情かもしれないけど、それは、いろんな人間がいますからね。欠陥だと思って、後はどうなるか、それは放っておくしかない。友だちならいくらでも付き合いますけど、マクロな視点でいえば、そういう人が少々いる程度のことは、どうという話ではない。

 先日、一つ学習しました。「なぜ、アメリカ軍は、ロボット兵士を戦場に送り出さないのか」って考えていたのです。そうしたら戦死者がいなくなるのに、と。が、答えは、ロボットの方が人間よりコストが高いからなんです。ロボットが行くくらいなら、人間がたまに死んでしまう程度のほうがコストが安い。マクロな視点とはそんなもんです。マクロは冷たい。

 だから、他人は関係ない。国も、文科省も、学校も、親も、関係ない。「社会」? なんですのん、それ。そんなことはどうでもよくって、自分のことは自分で考え、自分で満たさないと。

 がんばれ。それしかない。がんばるのです。理由なく。

 かくいう私は、このブログを書くまで、「時期尚早」(じきしょうそう)を「時期早尚」(じきそうしょう)だと思っていました。漢字変換してくれないからおかしいなー、と辞書を引いて判明した。わりとショックです。まだまだ死ねません。

自殺ブーム

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 流行っておりますね、自殺。イジメられて自殺、その校長が自殺… なんじゃそれ、という感です。

 土曜日に生放送でやっていた「たけしの日本教育白書2006」。その中、石原都知事が、文科省に寄せられている「自殺予告」について、「とっとと死ねばいんだよ」といった趣旨の発言をポロリし、爆笑問題・田中が慌ててフォローしていました。
 私、どちらかといえば「サウスポー」ですので、石原さんに共感することはまったくといっていいほどないのですが、こればっかりは私もそう。くだらない役人掴まえてゴチャゴチャ言わんと、はよ死になさいや、と。

 以前から書いているように、私は自殺を否定しないほうです。近現代の個人主義の「自己決定」の極致にあるのが自殺です。テレビのオトナ達が奏でる「命は大切だ」「生きていればいいことがある」「死んだら終わりだ」「みんなのお陰で命はある」… どんな言説も「キミにはそう思えるだろうが、オラには違うんばい」で終わる話です。
 実証的に考えてみても、「死ぬべきではない」ことは証明できません。何を言ってもそれは死んだことのない我々の想像に過ぎず、死んだほうがよいのかもしれないのです。

 もっとも、私は自殺を推進しているわけではありません。私の目の前に、「自殺しようと思う」という人が現れれば、「やめとけ」と言います。「なんで?」「生きるべきだ」「なんで?」「理由はない。生きているべきなのだ。俺の思想だ。ノルかソルかだ」。

 結局、生きるとか死ぬとかいうのは、理屈の問題じゃありません。それは、ポリシーの問題です。生きようと決断する、ただそれだけの話。理由はいりません。生きていればいいことがあると思っているわけでもありません。私は、単に、生きているべきだと思うだけ、理由はないのです。「違う」という人と、議論するつもりもない。

 あえて自殺を勧めないニュアンスを言えば、自殺って、「おこがましい」感がするんですよね。誰に対してというわけでもなく、なんだか自意識過剰というか。そんなに思いつめるほど、俺の人生はたいしたもんじゃない、と私は思っています。

人間ドック

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 今日は、はじめての人間ドックでした。30歳を過ぎると会社全額負担で受けさせてくれるのです。

 といってもフルコースではないと思います。身長、体重、血圧、心電図、視力、眼底、採血、検便、検尿、腹部超音波、胃エックス線、胸部エックス線というコース。

 私は案外身体の変調には神経質なので、検査はずいぶん受けました(自費で)。脳のMRI・CTあたりも受けましたし。

 今回はじめてだったのが、胃のエックス線。かの「バリウム」ですね。思ったよりは辛くなかったです。味しないでしょう!?
 そういえば、「検便」て久しぶりにやりましたね。小学校で、虫がいないかの「ぎょう虫検査」ってありましたけど、あれ以来かな? 洋式の水洗トイレで便とるのって、難しいですね。

 私、決してマイナス思考なわけではありませんが、「ビックリ」するのが嫌なので、身体の検査をやったときは、いつも、「余命、6時間です」と言われても、「そうですか。ありがとう。」と立ち去れるようイメージトレーニングをしています。

 今回も、「余命6時間」て言われたらどうしよっかな? と考えながら検査をしていました。結局、仏教も学問も仕事も、なにかもどうでもよくて、わが人生最愛の女性を呼びつけ、一緒にいてもらって最期を迎える。それしかあれませんね、わたしごときには。

浪費か、消費か、投資か

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 昨日、ネットで数種類買い付けたネコのご飯が到着。

 いつものメニューである、「ニュートロ・ナチュラルチョイス・インドア」、「アボキャット」に加えて買ってみたのが、「ヤラー」(写真・下)と「ピナクルキャット」(写真・左)。

 それぞれ、800g 2,000円、700g 1,500円。ホームセンターで売っている「フリスキー」なんて、1.5kgで500円以下ですから、バカ高いご飯でございます。ちゃんと食べてね、お願い。

 高いといえば、仏教書も高い。先日、卒業論文の原典にする本がはるばるロンドンから到着しました(amazon で買っただけですが)。パーリ律(vinaya piTaka)の英訳本『Book of the Discipine』(Pali Text Society)、6冊セットです。

 本棚が一杯のため、テーブルの上に並べているこの写真の本だけで、いくらになるか計算してみました。左の見切れている箱のものから順に、8,400円、8,400円、3,990円、8,400円、4,935円、右6冊セット32,968円、しめて、67,093円。ちゃんと読んでね、お願い。

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