「ルール」

2006年01月23日月曜日PM | コメント(1) | トラックバック(0)

 もう一筆。偶然、今日はうちの会社の決算発表。

 案の定、ホリエモンの件に関する質問が多かったようですが、社長の井上雅博は「ルール」という単語を連呼していた。私もよく「ルール」という言葉を使います。

 最近は目っきり直接会う機会も減ったので、感化されたわけではないですが、やっぱりその辺の感覚が、私にとって居易い会社なのかもしれませんね。

 井上(公の場での身内なので敬称付しません)がどういう意味で使っているのかはわかりませんが、私が「ルール」という表現を好むのには理由があります。

 「ルール」という以上、それ(経営だとか商売だとか)は、「ルールに基づいたゲームである」ということ。ビジネスは一つの「ゲーム」に過ぎないということです。

 サッカーというゲーム、家族というゲーム、ビジネスというゲーム、友だちというゲーム、夫婦というゲーム… すべて「ゲーム」で、それぞれにルールがある。

 すべては「仮設」(仮に設定)されたもの─ゲームではないもの、「本当の」とか「真実の」と形容されるような局面は無いということを言いたい。あるゲームのプレイヤーを離れた「真の自己」、仮面を外した「本当の自分」など無いということです。それが仏教が明らかにする無我であり、空であり、縁起ということでしょう。

 宗教、こと哲学的傾向がある仏教が好きになる人にありがちな、「自分探し」は辞めた方がいい。一つ一つのゲームにおいて、ルールを守ったプレイヤーとして、それなりの「自分作り」をすればいい。そんな人生に如何なる意味、価値を見出すのかは、個々人がよく考えるほかないことです。

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コメント(1件)

玄山 徹道 | 2006年1月25日 08:48

はじめまして。玄山徹道と申します。
この主張より思い越すのは、スマナサーラ長老著「人生はゲームです」(大法輪閣1997)です。人生はたかがゲーム、されどゲーム。根本とする主張の底流に違いはないし、私も全く同感です。

私のブログも覗いてみてください。
私の法兄(といっても忠如様と同様、二人とも在家ですが)の大法徹真氏と書いています。(現在は忙しく私の執筆は少なくなっていますが。)
             玄山徹道 拝

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