信仰と学問
2005年12月 5日月曜日PM | コメント(0) | トラックバック(0)
今日は夕焼けがものすごくキレイ。月と奏でるハーモニーの写真をオフィスからお届け。
さて、先週の火曜日のことですが、私の人生に影響を与えた六大老(*)の一人、K子氏と会いました。
(*)六大老…松本人志(天才)、安河内哲也(努力、合理性)、I橋T(任侠心)、桑田佳祐(いろいろあるけど楽しくやろうや)、K子H之(仕事は悪である)、南直哉(仏法) ※敬称略
K子氏は、会社の同僚で、一瞬上司であったことも。KO大学哲学科ということもあって、昔から私の与太話によく付き合ってもらっています。離婚する時の証人になったりも。
K子氏の口癖は、「仕事は必要悪である」。そう、よく考えてみれば、いつから仕事なんてものに脳みその大半を占領されてしまったのか。たかが商人、まして他人の会社、そんなもので“自己実現”しようとすることがそもそもおかしかったのです。
すべきことをし、時間を拘束される代わりに、お金をもらうという契約をしているに過ぎない。感情など入れずに、サクサク~ とやるべきことをやって帰ればいいだけ。そう思い始めたら、ストレスも減り楽になった。
そんなK子氏は、今年の初めに退社して、個人出版を扱う会社をはじめました。勝手に想像するに、一つの転機がありました。わずか9日間の間に、お父様が亡くなり、娘が生まれたのです。
おそらくそこで、人が生まれ、生き、死んでいくということについて、何かしらK子さんは感じたんではないかと思うのですね。
昔から「宗教は思考停止である」というK子氏。そんなK子氏に、「亡くなったお父さんは、今、どうしていると思いますか?」とぶつけてみた。そしたら、「空の上から俺たち(家族)を見守ってくれてると思うよ」と言うのです。
K子氏らしからぬ人間味あるもの言いにちょっと感動。
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さて、最近思うことがあります。私はインド仏教、中でもナーガールジュナ(龍樹)が好き。今まで、仏教教学を学べば、「自分もそう思わねば」と思っていたのですね。
けれど、最近思うのは、「それとこれは、矛盾しててもまぁいいか」ということ。もちろん、影響は与えられているでしょう、でなかったら、ほんとに意味がない。
けれども、別に、全部が全部骨身に染みてわかってしまったら、それは成道であって、そんなことが今の私にあるわけはない(笑)
人生の終焉の問題に関しても、仏教学上は輪廻(生まれ変わり)は認められないと私は強く理解しています。「輪廻する主体」が認められない以上、輪廻自体認められないからです。
けれど、私の人生は、死んだ瞬間に、また始まると思っています。来世は、私にとってはある。今生で、普通の人よりは仏教に精進しているでしょうから、来世ではタイあたりで高僧にでもなりましょうか(笑) で、Aちゃん(該当者2名)かKちゃんかTちゃんの誰かと密かに通じる(結婚禁止でしょうから)。で、来来世こそ、欲望が振り払われて、成道するんじゃないですかね?(笑)
それ(仏教学)はそれ、あれ(私のキモチ)はあれ、でいいじゃねえかと思うのですよ。
ちなみに、志を下げたわけではありません。
法然上人にも影響されていますよ。ウソついたってダメです。ほんとに自分はどれほどのものなのか、胸に手を当てて考えてみいということです。>自称・聖職者の皆さま
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