仏教と業報輪廻思想について
2005年10月12日 | コメント(1) | トラックバック(0)
今週末は、原始・部派仏教思想の科目最終試験です。出題6パターンについて答案を作っています。ここで、掲題の「仏教と業報輪廻思想」の関係、私としては暫く頭が混乱していて、南師にも質問したりしていたのですが、よくよく考え、業報思想と輪廻思想を分解し、なおかつ業報思想を縁起思想に普遍化するとすっきりと理解できましたので、掲げておきます。今日はよく眠れそうです。
すっきりと理解できたのみならず、業報因果思想も修行解脱の思想も当時のインドにおいて常識的な思想です。では仏教の独創性は何か、ということについても明快になりました。仏教が仏教である所以は、「実体(論)否定」なんですね。なんですね、というか、それしか残りません。
範囲外なので書きませんでしたが、ご承知の通り、部派仏教時代には再び輪廻思想との連絡をはかろうとして迷走するわけです(我を認めませんから、業そのものが輪廻する、とか)。そこで再び実体論否定を帰謬論法を用いて行ってブッダを回復したのがナーガールジュナなわけです。
---ココカラ--- ※レポートではないので推敲はしていません
■ 仏教と業報輪廻思想について
紀元前4~5世紀、インドの地に誕生した仏教は、当然ならが当地の影響の下で発達した。インド思想との関係を考える際に、もっとも主要なテーマは業報思想、業報輪廻思想との関係であろう。
その前にまず、業報思想と輪廻思想を区別しておかなければならない。業報思想とは、行い(業)が因となって果をもたらすという思想である。善因善果悪因悪果であり、業報因果思想といってもよい。一方、輪廻思想とは、生あるものは生まれ変わり死に変わるという思想である。いずれもインド土着の思想であるが、以上のように両者は元は別の思想である。輪廻の仕方が、業報因果による、と組み合わさった時に、業報輪廻思想となるのである。行い(業)を因として、来世(果)が決まるのである。なお輪廻する主体は、インド思想においては我(アートマン)である。
ゴータマ・ブッダが出家した当時、貨幣経済の発達などの社会変動の中で、旧来のバラモン教の枠組みを抜け出した出家修行者(沙門)が多くいた。彼らは反バラモンを共通項としながらも、それぞれが思想を唱えたが、代表的な者として六師外道がいる。彼らのうち、業報輪廻思想を採用した今日のジャイナ教の教祖マハーヴィーラ以外は、業報思想を否定した。唯物論を取る者にあっては輪廻思想をも明確に否定している。
さて、仏教と業報輪廻思想の関係は如何なるものであろうか。私は以下のように考える。
まず業報思想についてであるが、これは明らかに受け入れている。業報思想に立たなければ戒も修行も何も意味をなさない。行いが在り方を規定するという仏教の立場は、広義の意味で業報思想である。
議論の残るのは輪廻思想との関係である。釈尊は、在家に対していわゆる三論、すなわち施論、戒論、生天論を説いている。布施を行い戒を守れば、死後天に生まれ変わるということである。しかし、これをもって直ちに釈尊が輪廻を採用したとはいえない。業報思想は否定しても輪廻思想は否定しない思想家がいたように、インドにあって輪廻思想は極めて常識的な思想であった。一般の在家信徒に対しての教えとして、あるいは業報思想を理解するためのステップとして、通俗的な業報輪廻思想を採用したに過ぎないと考える方が他の思想との調整が付くのである。
仏教の根本思想とされる縁起の理は、業報思想を更に進化させたもの、つまり、原因結果という継起関係に限らずに論理的関係、同時存在的関係も含め、ものごと全般の在り方に拡張したものと捉えることができる。ここで、仏教の独創性は、あらゆるものごとは複合的な原因、条件によって成立している、つまり縁起的に存在、成立しているのであるから、それは実体、自性を欠いていると指摘した点にある。この、縁起故に無自性であるという思想から、所行無常、諸法無我などの基本教説も導かれるが、この立場において、実体を認めぬ仏教では、輪廻する主体を想定できない。従って輪廻を釈尊は否定したと考えられるのである。
以上、原始仏教における業報輪廻思想との関係は、業報思想は踏襲したが、輪廻思想は否定したということになる。業報思想をさらに普遍化したといってもよい縁起の理に基づき、存在は縁起故に無自性であって、故に輪廻はしようがないのである。
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石橋 | 2005年10月13日 12:28
私も16日は、午前中大正大学で宗教学の試験です。ホームページ上の写真を頼りに、もしお見かけしましたら、ご挨拶させていただきます。