女性2人強殺、元巡査の死刑執行…南野法相で初

2005年09月16日金曜日PM | コメント(0) | トラックバック(0)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050916-00000105-yom-soci

 宅間守以来、死刑が執行されました。

 こんなページがありました。日本の死刑執行の「流れ」だそうです。阿弥陀仏なのですね、最期にあるのは。

 さてさて、私はここでも何度か書きましたが、死刑廃止論者です。そのような団体の支援もしたことがあります(経済的な)。

 この問題、結局、「かくの如くあるこの世界をどう捉えるか」ということです。ここでいう世界とは、現象世界のみではなくて、世界観、価値観などを含みます。これらが、「本体」のあるもの、常住不変のもの、もっといえば根拠のあるもの、と捉えるというのは縁起(=仮=無自性=空)論者の仏教者としてはいかがなものかと思います。

 今回の件でいえば、法律をはじめとする「今の日本のルール」は、根拠をもった、絶対的真理のものではないのです。ある条件のもとで、仮にそう決めた約束に過ぎないのです。

 とした時に、ルールを破った者に適用できる刑罰の限度は、そのルールの社会から追放する、すなわち終身刑(日本の無期懲役ではない)までであって、その人間の命を奪うというのは「飛躍」なのです。

 もちろん、囚人を生かしておくのは税金ですし、場所の問題もあります。

 ならば、極論すれば、国籍を剥奪した上で、島流しでもいいです。無国籍人にして、絶対に帰ってこれない孤島に置いてくる。そこから先はお任せ。もっといえば、太平洋のど真ん中、飛行機の上から落とすのだっていいです。そこで泳いでどこかに辿り付いて、生き続けられたなら、それでOK。

 なんせ、縁起的に成立しているに過ぎないルールを破ったら百発百中で絞め殺す、というのは、仏教の立場では理解し得ない飛躍なのです。と、私は思います。

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