医術を行ったりしてはならない

2005年09月 9日金曜日AM | コメント(0) | トラックバック(0)

 以前、東洋医学に関心を持ち始めたと書きましたが、「原始・部派仏教思想」のレポートの関係で、改めて原始仏典を読んでいると、明らかに医術を否定する記述がありました。

927 わが徒は、アタルヴァーダの呪法と夢占いと相の占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を行ったりしてはならない。

 『アタルヴァヴェーダ』とは、今日インド伝承医学といわれる「アーユル・ヴェーダ」の基礎を為す文献です。

 上の句は、南伝パーリ五部の小部に含まれ、原始仏典の中でも最古層と考えられる『スッタニパータ』の、その中でも最古のものと思われる「八つの詩句の章」の一節です。最初期の仏教において明確に否定されているのです。訳はすべて中村元『ブッダのことば』によります。

 無論、これは出家修行者に対する教説で、解脱を目指す出家修行者にとっては医術は生への執着で、避けなきゃいけないんでしょう。もちろん、死への執着も。解脱を「生死解脱」ともいうように。

 有名な話ですが、初期仏教の修行法の一つに「不浄観」という方法があります。これは、四念処のうちの身についての念とも同じで、この身体を不浄なものと観るのです。長いですが、末尾に不浄観に関する部分を引用しておきます。鮮烈な内容です。これも、『スッタニパータ』「八つの詩句の章」であり、最古の修行法といえます。

 環境が違いますから完全に飲み込むわけにはいかないにせよ、“過度に”身体を大事にしていても、どうせ最後はダメになるのですから、その分ショックが大きいですよね。適度に、中庸に、生きていけばいいのかもしれません。

194 身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、ありのまま見られることがない。

195 身体は腸に充ち、胃に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり、

196 鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。

197 またその九つの孔んらはねつねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、

198 鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。

199 またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。

200 また身体が死んで臥するときには、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない。

201 犬や野狐や狼やは虫類がこれをくらい、鳥や鷲やその他の生きものがこれを啄む。

202 この世において知慧ある修行者は、覚った人(ブッダ)の言葉を聞いて、このことを完全に了解する。なんとなれば、かれはあるがままに見るからである。

203 (かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう)と内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきである。

204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。

205 人間のこの身は、不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以て)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出る。

206 このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また軽蔑するならば、かれは(見る視力が無い)という以外の何だろう。

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