「仏教学ゼミ2」初日 & 受戒一周年
2005年07月28日木曜日PM | コメント(0) | トラックバック(0)
仏教学ゼミ2、楽しいです。「ゼミ」と付くだけあって、本題に入る前の余計な話もなく、じっくり『中論』第18章をサンスクリットの現代語訳と、クマーラジーヴァ訳を並べながら読んでいます。今日の3時限分(3.5時間)で4偈終わりました。18章は12偈なので、ちょうど三分の一ですね。授業の内容もしっかりとしたものです。生徒からの質問に答える時間も用意されています。
18章の冒頭は、「我」(アートマン)の否定です。「我」とは、インドで一般的に考えられていた身心とは独立した自己の本質、のようなものです。その定義からして、不生不滅で恒常、単一なものです。ナーガールジュナは極めて論理的にこれを否定します。つまり、「我」があるとすれば、それは身心(五蘊)と同じものか、別のものでしょう。「我」が身心と同じであれば、身心は生滅する無常なものですから、「我」も生滅してしまって定義からしておかしい。「我」が身心と異なるのであれば、Aさんの我、Bさんの我などと区別がつかなくなる(五蘊の特質を持たない)わけですから、意味がない。こういって、「我」を否定するのです。
さてさて、先生は近年の研究成果等もよく話してくれます。面白いな~と思ったのが、「ナーガールジュナ非大乗説」(これは勝手に私が付した名称)です。今回のテキストに採用されている中村元『龍樹』に書かれている通り、ナーガールジュナが宣揚したかったのは大乗の縁起(⇔小乗の十二支縁起)で、それが「空」とも同趣意であるというのが定説なわけですが、これに異を唱える人がいるそうです。
理由一。『中論』には大乗仏教の専門用語がまったく出てこない(「大乗」「菩薩」「六波羅蜜」「請願」「三昧」など)。「空」はもちろん出てきますが、「空」自体は小乗の時代からあった語です。
理由二。ナーガールジュナ自身仏教者(⇔哲学者)であり、定説とされている相依の縁起などという論理的、哲学的問題を宣揚したいはずがない。十二支縁起に基づく解脱の道を説きたかったはずだ。
ということだそうです(先生がそう主張しているわけじゃないです。そういう説もある、ということで)。
判断を下すほど私はまだ学が浅いですが、なかなか面白いですね。確かに、後代、大乗仏教が『中論』を拠り所としただけであって、当時のナーガールジュナ自身は小乗の立場で“身内を”批判しつつ『中論』を書いたということも想定はできるでしょう。また、そう想定すると、後半に小乗の十二支縁起を説明している章があること(定説では単に古いものを紹介する付けたしとされています)、今日読んだ第4偈で、「取」を滅するから「生」を滅すると、小乗十二支縁起に基づいて解脱を説いている(定説では古い論理を用いて説明しているだけとされています)ことも説明がつき易い気もします。
やっぱり私は、ナーガールジュナにはまりそうです。
授業後、東京のオリエンテーションで一緒だったTさんと北大路で食事。私の父より年上の大先輩です。その後、28、29と宿泊するホテルフジタ京都に入ったのですが、なんと絶景のツインをあてがわれてしまいました。窓の外は鴨川です。
最後に、今日は実は、受戒1周年です。昨年の7月28日に受戒しました。この1年、どうだったのでしょう。幸い、仏教を学ぶ環境も整ってきました。しっかりと精進しましょう。受戒時のページを見たら、あの時も中村元『龍樹』を読みながら福井に向かったのですね。なんだか… おもしろいものです。
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