JR長岡京駅で母子3人電車に飛び込む
2005年03月20日日曜日AM | コメント(0) | トラックバック(0)
暗い話ですが、、ひとこと言いたく思っておりまして…。
仏教徒が何を言うかと言われそうですが、私自身は、不殺生戒を受ける仏教徒として自殺は禁止です。「そう決めた」四方サンガの一員として、少なくとも仏教徒である限りは、自殺はしないでしょう。
しかしそれは仏教徒としての「ルール」であって、一般論として自殺すべきではない「理由」を見つけるのは困難です。
ですから、考えに考え抜いた上で、「死に賭ける」、「今生は死すべし」という人は、それはそれで仕方ありません。自殺は近代追求してきた「自己決定」の究極形であるし、極論すれば一つの“尊厳死”でしょう。
という思考の持ち主の私ですが、さてこのニュース、他人を道連れにしてはいけません。腕を切断したお嬢ちゃん。これからどういう気持ちで生きていったらいいのでしょう。
子どもを伴っての無理心中のニュースを見るに思うのは、親の「勘違い」です。“産んでくれと頼んでいないのに”産むのですから、親が子を養うのは当たり前です。がんばって育てなきゃいけません。
しかし、このことと、「親は子にとって必要であるか」はまるで別問題です。親がいたからって育つとは限らない、。親がいなかったからといって育たないとも限らない。残念ながら、親は子にとって、必要条件でも、十分条件でもないのです。
そこを勘違いして、子どもと運命を共同しようとする。いい迷惑です。親は死にたきゃ死ねばいいですが、子どもは親なんぞいなくても育つのです。
「されど親」ですが、「たかが親」なのです。
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