曹洞宗 大雲山 東照寺

2005年02月 7日月曜日PM | コメント(0) | トラックバック(0)

曹洞宗 大雲山 東照寺 (東照寺国際参禅道場とも/東京都品川区豊町4-5-18

 記念すべき!?、私がはじめて坐禅をしたお寺。

 発心寺系、福井県小浜の発心寺専門僧堂二十七世、かの有名な原田祖岳老師が発心寺の東京出張所として開いた道場だそうだ。

 発心寺系は「悟り」にこだわる。坐禅の末に、「悟り」なる体験なのか現象なのか“境地”なのか、よくは分からないが、あくまで「悟るために」坐禅をするようである。それ故か、坐禅活動には熱心に思える。

 東照寺も毎朝の暁天坐禅で一般参禅者を受け入れている(無料)。毎週土曜夕に講話付きの坐禅会(無料)、また年に2回接心(5泊15,000円)、イタリアでも年に2回接心がある。さらに、珍しく、一般の長期参禅者用に寮がある。日中は会社や学校にいける。朝食付きで月3万円。私が伺った時は、カナダ人の女性が滞在していた。

 また、坐禅の方法についても、それが「手段」故か、いろいろと段階化されている。私も最初は数息観を教えられた。そのほかにも「随息観」「公案三昧」等、いろいろあるようだ。

 発心寺系のお寺さんは、「独参」もやる。坐禅がはじまると、師匠は個室に行ってしまう。鈴のようなものが鳴ると、坐禅を立ってその部屋の前に並ぶのだ。で順番に入っていく。ホームページの言葉を借りてくると、「自己の見解を述べ、批判をあおぎ、また師家と道力を戦わす」だそうだ。私も別の寺で一度チャレンジしてみたが、何を話していいかわからない。「あの本のこの表現はどういう意味なんですかね」ということを聞いてみたら、「そういうことにとらわれちゃいけない」と言われて困ってしまった(笑)

 住職はいい人、面倒見のよい人だったと記憶している(まぁ、これだけ熱心に坐禅に取り組んでいて、悪い人はいないでしょうが)。

 ただ、たとえば「公案三昧」について、「自己を忘じ公案に死に切る無我の行」と書いてある。あるいは「公案の答はすべて自己を忘じた無我の丸出しのところ」「自分が参じている公案に成り切って」とか。私は鈍根ゆえ、肌に合わなかった。一言でいうと、なんだかよくわからないのである。

 とはいえ、一つの坐禅の主流な派なのであろうし、世間一般にイメージされる「禅」はこちらに近いのかもしれない。この手の坐禅にご興味ある方は、一度行ってみるといいと思います。

« 前の(古い)ブログ記事 | 次の(新しい)ブログ記事 »

このブログ記事をソーシャル・ブックマーク

コメントする







トラックバック(0件) | http://www.vinaya.jp/apps/mt4/mt-tb.cgi/1117

Powered by

  • Logo designed
    imeka
  • Blogソフトウェア
  • レンタルサーバ
  • ドメイン取得

contact to me

works

最近のブログ記事

タグクラウド

検索