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夏を感じながら
朝9時、青松寺へ。
お盆でお坊さんが多忙のようで、一人坐禅に。すっかり夏になり、蝉や鳥の声を聞きながらの坐禅。都会のど真ん中ながら、多くの命がいることを感じます。
今朝、携帯の電池が少なくて、カメラを起動できませんでした。写真は、関係ありませんが、、、オフィスから、東京タワー方面を。ちょっとくすんでいるのは、窓越しに撮っているためです。

ホームページを更新ッ更新ッ
台風一過で、今年一番の暑さ。ものすごい暑さでした。
そんな中、今日はお家で、ホームページをひたすら更新。正法眼蔵随聞記独習を4つアップし、戒律をまとめました。また、サイト内全文検索を設置。今はまだまだですが、いずれ文章が増えてきた時に、仏教語で検索したり、便利になるといいなと思います。
明日からはまた坐禅に。
寝続けました…
台風もきていましたが、この日は、平日の疲れがドッと出て、ひたすら寝ていました…。
“仏として坐る”
9時、青松寺へ。今日はお坊さんがおらず、独り坐禅となった。
当たり前のことだが、禅は奥が深い。諸々学習を続けて改めて思った。只管打坐、黙照禅の曹洞宗に対し、臨済宗は公案、いわゆる禅問答といわれるような、「お題」を考えながら坐る、看話禅である。
簡単に言えば、曹洞宗では“修行(坐禅)がそのまま仏の行”である、とするのに対し、臨済宗では“修行をすることによって仏性に目覚める”、という考え方のようだ。
仏“になる”のか、仏“である”のかとか、…、とっても拙者には書けないほど、いろいろな考え方があるようだ。曹洞宗の「只管打坐」でも、ともすると、ただ坐ってりゃいーやーというグータラ坐禅になるのを戒め、公案を用いる法門もあったり… と。
少し整理ができたらどこかでまとめてみたい。
軽率に使うのは畏れ多いが、曹洞宗的な「仏として坐る」という響きがなんとなくいい気持ちがした。独り坐禅をしているときでも、「仏として坐る」なんて聞かされると、とてもいい加減に坐ることはできないものである。
写真は青空に映える東京タワーをバックにした、天上天下唯我独尊像。

お休み
本日も昨晩同僚宅に泊まったためお休みです。
数息観
朝9時、青松寺へ。
今日はお坊さんがおらず、独り坐禅となりました。独りだと、緊張感が無く気が散ってしまうので、今日は数息観で坐ってみました。吸う息、吐く息を(声は出さずに)数えるという修養法です。息を数えることに没頭するのです。数息観についてはこちらに詳しくあります。
幸い、いいカンジで坐れました。
写真は、青松寺内に流れる川(?)です。

お休み
本日は、昨晩同僚の家に泊まったためお休みです。
月曜日の割には…
朝9時、青松寺へ。
土日を家で過ごすと、動かな過ぎなのか、月曜に脚が痛くなるのが常なのです。しかし今日はそこそこ調子いい。
いいカンジに坐禅が出来ました。今週も頑張りましょう。
写真は、青松寺正面に置かれている菩薩像。ビルは森タワー。間にうっすら、東京タワーです。

本日も…
お家で静養。ものすごい暑いです。
若干長文だった、正法眼蔵随聞記「人の叱りかた」を完成させ、アップしました。
明日からまた頑張りましょう。
東京の坐禅会一覧
梅雨があけ、今日は東京は夏日、一挙に暑くなりましたね。
今日は自宅でゴロゴロ、散髪に行ったり。
ところで、昨晩、ホームページに「東京の坐禅会一覧」を公開しました。ネット上で集めた情報を再編したものですが、坐禅に興味ある東京の人、ぜひ自分の時間に会う坐禅会をお探しください。ホームページはこちら。
この坐禅会一覧を作るのに、ホームページを開設している寺院には(許諾確認の)メールをしました。各お寺さんとも、速やかにお返事を頂き感謝しています。
出会い
一昨日より読み始めた本がある。南 直哉(みなみ じきさい)師の『日常生活の中の禅』(講談社選書メチエ)である。南師は、早稲田大学第一文学卒業後出家、大本山永平寺に安居し、同寺人権擁護推進室国際部主事、福井県霊泉寺住職を務め、別の著書名にもあるように『語る禅僧』(朝日新聞社)として活躍されている。
青松寺の出家者向けの修行機関「獅子吼林サンガ」の主幹を務めていることもあり、本を手にとっていた。
今朝、参禅に訪れると、なんと今日はその南師が指導、ともに坐って頂いたのである。1対1で。
坐禅の姿勢について、組んだ手(法界定印という)を私は若干上、おへその辺りに構えていたのだが、それを、下に垂らし組んだ脚に置くように指導された。そして、肩も肘も力を抜くように、と。背骨を支える腰と頭を支える首、そして口元にのみ僅かな力をかけ、それ以外は力を抜くように指導された。
いつもより若干長く、30分坐り終えると、「これから会社に行かれるのですか?」「はい」「それはいい習慣ですなぁ」と声をかけて頂いた。本を読ませて頂いています、と、言いたくなったが、タイミングを逃し言えなかった。
数え切れる程度の言葉を交わしただけであるが、大変よく指導して頂きました。
写真は青松寺。
